例えば、どこか痛かったら「痛い」と言ってもいい。
それってあたり前のことですよね。
でもなぜか、我慢しなきゃいけないような気がして、
言い出せないことがありませんか。
そんなとき、誰かから、
「痛かったら『痛い』って言っていいですよ」
って、きっぱり言ってもらえたら・・・
なんだかそれだけで安心できますよね。
(^_^;)
最近の私はちょっとそういう状況になってて。
そんなときにいつも、思い出すエピソードが2つあります。
もう四半世紀ほど前の話ですが。
当時、私は学校を卒業して最初の職場の小児病棟で、
看護婦として仕事をしていました。
(当時はまだ看護婦という呼称でした)
一つ目のエピソードは、中学3年生の男の子。
内科系の病気で何度もこの病棟へ入院したことがあるのですが、
このときは別件で腰椎麻酔で手術を受けるための入院でした。
病棟のスタッフも、家族も、
「入院は慣れているでしょ。もう中学3年生だし、大丈夫よね」
みたいな認識で、気楽に構えてました。
でも、本人にとっては違ったんですよね。
剃毛しているときに彼はボソッとつぶやいたのです。
「あ~あ、どうせなら全身麻酔でやってくれればいいのに」と。
彼が、初めての外科手術を怖がっているというのを、
私はそのときはじめて知りました。
それまで気づけなかったのは本当に申し訳なかったです。
彼が怖がっている理由はなんとなくわかったけれど、
私はあえてその理由をきいてみました。
そうやって彼と手術について話をしながら、
私からこんな一言を伝えたんです。
「痛かったら『痛い』って言えばいいんだよ。
痛いときはちゃんと先生たちに教えてあげてよ」
「そうなの? 痛いって言ってもいいの?」
彼の表情が明らかにホッとしたように緩んだのがわかりました。
ちなみに手術後に病棟に帰ってきたときの彼は、
「全然大丈夫だった!」と笑顔でした。
もう一つのエピソードは、小学3年生の男の子です。
幼いころから喘息発作で入院を繰り返していて、
どんな処置をするのかよく知っていました。
とにかく採血や点滴など針を刺される処置が大っ嫌いなので、
毎回、処置室へ入る前から大泣き&大暴れです。
そのときは、あまりにも暴れっぷりが激しくて、
安全に処置できるような状態ではなかったので、
私はまず彼を説得することにしました。
「ちょっと待ってよ。まだ何もしてないよ。
目を開けて見てごらん、まだ何もしてないでしょ。ほら」
何回もそう言って説得しているうちに、
ようやく彼が目を開けました。
「ほら~、まだ何もやってないよね。
それなのに、泣くなんておかしいよね?
今から点滴やるけど、“本当に痛かったら”泣いてもいいよ。
いい? “本当に痛かったら”泣いてもいいから、ね?」
説得にはけっこうな時間を要しましたが、
ようやくおとなしくなって。
無事に点滴の針も入って、固定しているときに、
彼はこう言ったんです。
「なにも痛くなかった」
(^▽^)
「よかったね~、もう泣かずに点滴できるね~」
彼はとても満足そうにうなづいていました(笑)
痛かったら「痛い」と言ってもいいよ。
本当に痛かったら泣いてもいいよ。
彼らにきっぱりとそう伝えてみたら、
それだけで安心してもらえました。
痛くても我慢しなくちゃいけないとか、
これからのことはすごく痛いに違いないとか。
無意識にそう思いこんで、
それで不安になってしまってたんでしょうかね。
そのときは、まるで魔法のように、
彼らが安心した表情になったのが不思議でした。
だから印象に残っているんだと思います。
例えば、私たちが相対している対象者さんも、
無意識の思い込みで不安になっているかもしれないです。
私たちにとってはたいしたことじゃないのに、
「保健指導のときは行動を変えると約束したけど自信がない」
とか、
「健診で今年もまた「血圧が高い」と言われたらどうしよう」
とか。
そういう些細なことだけど、声に出てこない不安があるのかも。
それを察して、
「うまくいかないときはプランを変更すればいいので、教えてくださいね」
「血圧高ければ後で測り直しますから、大丈夫ですよ」
こんなちょっとした声かけができる看護職でありたいと、
心がけているつもりですが・・・
後になって、ハッと気づくことがまだまだ多いです。
(^_^;)