正確性とわかりやすさ

 

 

 

産業看護職として、対象者さんに保健指導をするときに、

現状に陥ってしまった理由とか、

疾患の病態とか、

改善策がどうして有効なのかなどを、

医学的な知識を交えて説明をする場面はよくありますよね。

 

対象者さんには医学的な知識はほとんどない場合が多いので、

どれだけわかりやすく説明できるか

納得してもらえる説明ができるかが、

専門職としての腕の見せどこだと思います。

 

ところが、わかりやすく伝えるために、

端折ったり、言い替えたりするうちに

「実際にはこれだけじゃないんだけどな~」とか、

「本当はちょっと違うんだけどな~」

という内容になってしまうことがありませんか?

 

私自身はそうなんです。

自分が複雑なことが苦手なせいか、

まず自分でとにかく端折って簡潔にして、

単純でわかりやすく加工してから

理解しようとするクセがあります。

 

それがそのまま対象者さんへの説明にも出てしまうんですよね。

 

私自身は

「これはかなり端折っているので、現実はこんな単純ではない」

とわかって話していますが、

相手は私の説明がすべてだと思って聞いている

わけですよね。

 

そうするとあとから、

「今田さんの言ってたことと違うことを言われた」とか、

「〇〇と聞いたけど、本当はそうなの?」などと、

言われてしまうということも多々ありました。

 

正直なところ、当時の私はそれを当たり前だと思っていて、

特に意識することもなかったんです。

 

ところが、大学院で学び、教員になってみると、

アカデミックの世界ではこの「正確性」が最優先されるべき要素だ

というのが身に染みてわかりました。

 

人に何かを教えるなら、

正確ではないことを教えてはいけない

という当たり前のことを、

ようやく気づいたんです。

今までの自分が「正確性」を大きく犠牲にして

「わかりやすさ」に偏っていたんだなぁ

ということを思い知らされました。

 

それからの私は、

「正確性」のある説明をしなければならない

というプレッシャーを感じるあまり、

自分の言葉で説明できなくなってしまった時期もありました。

 

私の説明は、

「わかりやすい」けれども、「正確性」はイマイチ・・・

だというのが

今でも自分にとってコンプレックスになっています。

 

ただ、先日、ちょっとだけ救われた気持ちになっのです。

 

あるネット記事を「とてもわかりやすいなぁ」と思いながら読んでいたら、

最後に注釈がついていました。

 

厳密性よりも理解しやすさを重視しているため、

細部が事実と異なる可能性があります。ご了承ください」

と。

 

ああ、いいんだ、これでも。

私もこれを使えば、

持ち味の「わかりやすさ」を押し出してもいいんじゃないの?

 

そう思ったら、気持ちがずいぶん軽くなりました。

 

こんなことを悶々と考え込んでしまう方は少ないかもしれませんが。

もし、保健指導や健康教育などで、

どうやって伝えようかと悩んで迷走してしまったら、

いったん立ち止まって、

今自分は、「正確性」と「わかりやすさ」の

どちらを優先しようとしているのか

考えてみてはいかがでしょう。

 

「正確性」と「わかりやすさ」は

決して対立するものではありませんが、

それでもどちらに重心が偏っているのかを自覚するだけでも、

頭と気持ちの整理ができて、

迷いがなくなるのではないかと思います。

 

 

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